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世界樹の迷宮II公式サイトですけど、でかいウインドウをポップアップで開くのは止めてほしいですね。
II が発表されたころには、I をだらだらとプレイしていて 26F あたりをうろうろしていました。いまも進んでなくて 26F ですけど。通勤時間だけ+読書優先だとこうなりますね。
II には、あんまり大幅な変化は期待していなくて、してほしいのは細かな部分のブラッシュアップですね。マップに一方通行を書き表せないとかメモが足りなくなるとか、マップのスクロールが面倒だとか。
ともあれ、ガンナー♀のキャラデザが良いので、I が終わったころに買おうと思います。
↑は世界樹の迷宮1
非フィクションは買うほどでもないと思ってしまうらしくあまり読みませんでしたが、図書館で本を借りるようになってからは読むようになりました。
特に私が紹介するまでもない気がしたので説明は省略。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)(カズオ イシグロ)
論が浅いし、牽強付会に過ぎます。まず、キャラ化について、キャラやキャラ化の定義をきちんと行わず、意味の範囲を限定しようとしません。そのため、昨今の社会現象を多数例に挙げてキャラ化だと説明していますが、キャラ化が進行していると言いたいがために様々な例を強引にキャラ化と結び付けているようにしか見えません(というか、実際そうです)。また外国におけるデータがまったくありませんので、日本独自の現象だという主張にも頷けません。また、キャラ化がいつごろから起きているのかという歴史的な側面、何が原因なのかという社会学的な側面も抜け落ちていますので、本当に日本がキャラ化しているのか疑わしい限りでした。突っ込みどころ満載な一冊。
この本を読みつつ、スイーツ(笑)で有名なケータイ小説もデータベース消費の物語なのではないかと思いました。物語はどうでも良くて、「あたし」に対する感情移入が最大値になるように、F1 層向け雑誌言葉データベースから愚直にデータを引っ張ってきているのではないかと。読書経験が浅い読者を対象にするならば、自然主義的リアリズムの観点からは重要である現実的な人物描写などというものは、読むのにひっかかって感情移入に対する妨げでしかないわけで。わかりやすく即物的で感情を揺さぶるための書き方が正解なわけです。ただ、そこに新しい価値のある何かがあるとも思えないのが何ですが。5 年後くらいにはケータイ小説も流行が終わって廃れているのではないかと。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書 1883)(東 浩紀)
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